KODAI KITA

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OVERGROUND Opening Exhibitions “Window view”

OVERGROUND Opening Exhibitions “Window view”

会期:2022年9月3日(土)−10月10日(月・祝)

会場:OVERGROUND(福岡市)

アーティスト:古郷卓司, BABU, SECOND PLANET, Miti Ruangkritya, Yu Guo, 来田広大, HOTEL ASIA(佐々木玄+宮川敬一)

Curators: GALLERY SOAP + JWAGG

Special Thanks: CLEAR GALLERY TOKYO, ART TECHNOLOGIES, Jin Qiuyu

《あわいの風景(壁画)-福岡》  2022 / チョーク、コンテ / w.448.5×h.283cm

Statement

京都から福岡へ向かう道中、電車の車窓から観た風景を展覧会場の壁に描いた。

初めて訪れる福岡という土地に対して、何か旅の記録になるようなものが描ければと考え、自身の家系的なルーツにもつながる北九州の若松にある洞海湾をモチーフにした。

移動する時間や過ぎ去る風景の中に、私が生活している場所と旅先の場所との間に線を引くイメージで描く。

その「あわい」の風景は、「こことそこ」、そして私とその家系にまつわる記憶を接続させる情景として立ち現れる。

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「私の祖母」

1930-40年代、北九州の若松港にて祖母の父(私の曽祖父)は石炭の荷役労働者、「沖仲仕(おきなかし)※通称 ごんぞ」として働いていた。

筑豊などから運ばれてきた石炭を若松港で小型船に積み替え、洞海湾に停泊している大型船に運び込む。その石炭運搬用の小型船を曽祖父は所有しており、その船は家族で暮らす住居としても機能していたそうだ。

終戦後に実家のある広島に家族で移住したそうだが、三人姉妹の次女である祖母はおそらく10歳くらいまで、生まれてから幼少期のほとんどの時間を洞海湾の船の上で過ごしていたことになる。

(当時、石炭は一大エネルギー産業として発展しており、黒いダイヤと呼ばれた石炭の産業に全国から多くの労働者が集まっていた。若松港もその一つである)

祖母の生い立ちについて、私はつい最近になって初めて知った。祖母の娘である私の母も知らなかったとのことで、祖母は広島の三原で生まれてずっと広島で生活してきたものだと思っていた。

なぜ祖母が家族にも黙っていて今になって自分の過去の話をしたのかはわからないが、歳を取って認知症を患い、記憶が薄れていくことへのもしかしたら祖母の微かな抵抗だったのかもしれない。

黒い石炭を乗せて海に浮かぶ船は、時代に翻弄される流動的な記憶の船でもあるように思えた。

それは、2024年冬に亡くなった祖母の「私はここにいた」という声にならない声だったのかもしれない。

2024年4月

【制作資料】

洞海湾、若松駅

機帆船の画像(インターネットから)、スケッチ

壁画制作風景