アダタラ山の神様
「アダタラ山の神様」
2020年8月5日正午頃、その日の安達太良山の山頂は空が高く、心地よい風が吹いていた。
僕は山頂でのスケッチを終え下山し始めていた。
下り始めて30分くらい経った頃、森林限界も終わり背の低いハイマツ帯を通過している最中に、「ガサッ、ガサガサッ」と草の影から何かがいる音がした。
「ガサッ!」
ひやっとした次の瞬間に、目の前に一匹の獣が現れた。
鹿かと思ったがどうやら様子が違う。その獣はよく見ると二本のツノが生えていて、鼻が少し大きく、そして首元の毛がもさもさしている。
「もしかして、カモシカ?」
とりあえず熊でなくてほっとした。
僕の存在に気づいたカモシカは、逃げるわけでもなく後ろに7~8mほど下がり、一定の距離を維持した状態で、僕の方をじっと見つめていた。
じっとこちらを見つめるあどけない眼差しと、微動だにしない凛としたその佇まいは、とても神々しく感じ、 思わず手を合わせたくなった。
お互い視線をずらすことなく見つめあい、音のない時間が流れたが、ふと我にかえり、首にぶら下げていたカメラを手に取った。
しかし、慌てていたこともあってブレてしまった。
くそっもう一回。カシャッ! だめだ、全然うまく撮れない!
「オートにするからちょっと待って。」 たぶん実際に口に出していたと思う。カモシカは待ってくれた。カシャッ!
ちょっとピントが甘いけどさっきよりはという一枚が撮れた。
「ありがとう」とお礼を言うと、カモシカはプイッと後ろを向き、急に僕に興味を無くしたかのようにすたすたと遠くの尾根の方へ駆けて行った。
僕たちはどのくらいの時間見つめ合っていたのだろうか。 数分か、もしくはたかだか数秒の出来事だったのか、それは時間の感覚を失うような体験だった。
「お客さん、それはラッキーですね。」
そこから1時間ぐらい下ったところにある山小屋の人が言った。
カモシカは普段から滅多に人の前には姿を見せないとのことだった。
僕はとても得した気分で、木陰のベンチに座り、コンロでお湯を沸かしてカップラーメンを食べた。 山の神様も今ごろ木の実でも食べているのだろうか。
この同じ空の下で。
《アダタラ山の神様》 2020 / 写真、エッセイ(photo, essay)